ワインの「飲みやすい」表現の矛盾
ワインの世界に入り込むようになり僕は
疑問に思っていたことがある・・・
「飲みやすい」
という表現なのだけど。。。
僕はまがいなりにもワイン界にのさばっている
ということもあり、、、
僭越ながらこの
「飲みやすい」
という表現を使わないように
している。
何故だか安易な表現な気がして、
「プロの名が廃る」
のような謎の使命感もあり・・・
さてさて
この「飲みやすい」液体というの
を突き詰めると
「水」
になるのである。
おいおい日本人よどこまで当たり障りのない
答え方をするんだい?そんなのは政治だけにしてくれたまえ。
実は「飲みやすい」というのは
日本人特有の表現で、あまり外国人の方は使わない。
何でやたらと日本人は「飲みやすい」を使うのかというと
ルーツはやはり和食にあって
・お菓子の後に日本茶を飲む=余韻を楽しむという概念はなく、「流す」という文化のため
・素材そのものを楽しむ食文化=余計な味が入り込むのが嫌いな文化
・そもそもお酒と食の相性を図って作っていない
(言っておきますが僕は和食が嫌いなわけではなく
日本人のお酒の表現を鑑みるとこういう理由だよ
ということを挙げているだけなのだ)
という点がざっと挙げられます(熱が入ってしまうと説明に3時間くらいかかるから割愛万歳)
僕はプロ根性もあり、さらっとしていてクセのないワインも
何とかして個性を探し出す訓練をしています(たぶん)。
何気ないワインも「これとこれを一緒に合わせると美味い」
とか考えながら飲食するだけで毎日楽しくなります
人間との付き合いも「あいつはとっつきにくい」で流すのではなく
良いところを見つけて尊重していきたい
3流漫画の終わりみたいな終わり方ですがそういうことです
0コメント